赤飯太郎のサッカー日記

自由気ままにサッカーについてブログに書き綴っていきます。7割以上がチェルシーに関するものとなると思います。

自己紹介 〜第1章:自分がサッカーファンになった日〜

Twitterで色々呟きたい!」

となって打っていたら、気持ちが溢れてすぐに文字数制限に....。

そんなことが頻発化したので、思い切ってブログを作ってみました。

 

基本的にはサッカーに関しての感想をイングランドプレミアリーグチェルシーを中心に書き綴っていくと思います。

初回の5つの記事は、5回に分けて、まだまだ短いものですが、自分のサポーター人生を振り返っていきたいと思います。

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第1章は私がサッカーファンになるまでを書きたいと思います。

 

①ロンドンへの転居、そして大嫌いだったサッカー

2000年はじめ、ちょうど小学1年生を終えようかという1月末のことでした。

「ロンドンへの転勤が決まった」

自宅で「アタックNo.1」の再放送を観ていた私と、一緒にリビングでくつろいでいた姉と兄に対して、父親がそんなことを言いました。

父親の仕事の都合で、日本からロンドンへの転居が決まった瞬間でした。

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小学校1年生である自分は恥ずかしながら「ロンドン」が何なのか分からず、最初はキョトンとしていたのを憶えています。

ただ、話を聞くにつれて遠いところ、日本ではなく海外に引っ越すことを理解していきました。

大人になって思えば、「小さい頃に海外に行けるなんて羨ましい!」と言われるような経験です。

ですが、当時の私は1年かけて仲良くなっていった小学校の友達と別れることが何より辛く、「嫌だ!」と両親に泣いてお願いしていたように思います。

 

しかし、もちろん4月から小学2年生になる私を置いていけるわけもなく、2000年4月に私は家族と共にロンドンへと旅立ちました。

私が住んでいたのはロンドン北部の小さな町。

残念ながら引っ越し当時の思い出はあまりなく、忙しなく毎日を過ごしていたのだと思います。

 

そんな私は引っ越し直後から習い事として週に1回、日本人の方がコーチをしているサッカー教室へ行くようになりました。

ただ、これは自分で「やりたい」と言ったものではなく、兄が希望したのにとりあえず付いていって参加を決めたものでした。

 

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サッカー教室に通っていたのは1年半ほどでしたが、この間私はサッカーが大嫌いでした。

小学校時代、私は身体が小さく(今も低身長ですが)、サッカー教室には自分より上の歳の子が多くプレー中も体をぶつけられて吹っ飛ばされたりすることも多かったのです。

なので痛い思いをするサッカー教室に向かう道のりはずっと憂鬱でした。

※結局そのあとテニスを習うことになるのですが、痛いのがダメな時点でサッカーは向いていなかったなとつくづく思います(笑)

 

②2002年日韓ワールドカップ

サッカー教室を2001年の秋にやめて、私は「家族でプレイできるから」と2002年からテニスを習い事として始めました。

テニスコートがジムと併設されている大きなスポーツ施設で、そこで毎週土曜の夜に家族でテニスをして、日曜日はコーチの方に1時間のレッスンを受ける。

今思うと非常に充実した生活を送っていました。

この頃には自分もロンドンという環境に慣れて、新たな友人たちと楽しい日々を送っていました。

 

そんな2002年の6月。

自分のサッカーファン人生においてとても大きな出来事がありました。

それこそ、日韓ワールドカップの開催でした。

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当時はロンドンに住んでいたので、日本での盛り上がりを感じることはできませんでしたが、この大会をテレビで観ていた私は2人の選手に釘付けになりました。

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その2名こそ、日本でも大フィーバーとなったデイビット・ベッカム選手。

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そして、ドイツを決勝まで導いた絶対的な守護神であるオリバー・カーン選手です。

 

前者は当時ガキンチョだった自分から見ても分かるスーパーなイケメンさと、独特なフォームから繰り出される正確なプレースキック

後者は「ゴールキーパーがこんな目立つことがあるのか」と当時の私に衝撃を与えるほどのセービングの連続。

 

この2名のプレーが私をサッカーの世界に浸からせるキッカケとなりました。

サッカー教室に通っていた時には楽しさのカケラもなかったサッカーに、とにかく夢中になってテレビにかじりついていました。

 

その頃から小学校での昼休みに皆でサッカーやるときはずっとGKをやっていたのもいい思い出です。

ベッカムみたくFKも蹴りたかったのですが、取り合いになるので避けてました(笑)

 

③はじめてのスタンフォード・ブリッジ

日韓ワールドカップが終わる頃には、私は完全に1人のサッカーファンとなっていました。

そんな中、私にとんでもない幸運が訪れました。

父親から「ベッカムが出場するだろう試合のチケットを、会社の人から譲ってもらったけど行くか?」と言われたのです。

今思うと、このチケットこそがチェルシースタンフォード・ブリッジマンチェスター・ユナイテッドを迎え撃つ試合でした。

 

当時の私は寝室にポスターを貼るほどのベッカムファン。

こんな嬉しいことはありませんでした。

とにかく試合開始が待ち遠しく、「あと◯日...」と1日ずつ数えながら当日を待っていました。

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結果的にこの試合をキッカケに私はチェルシーファンになるわけですが、当時は完全にベッカムファン。

もっと言えば、その頃にはプレミアリーグの結果なんかも雑誌でチェックしていましたが、マンチェスターユナイテッドを応援していたくらいです。

 

そんな私でしたが、当日座った席はホーム側のシート。

とはいえ、特にそこら辺を気にしていなかった私は持参した双眼鏡でベッカムを見つけてはテンションMAXで試合を観戦していました。

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ただ、自分にとって人生初のサッカー観戦となったこの試合。

何よりも驚かされたのはサポーターたちの熱気。

スタジアムが揺れんばかりの声援と、全てのチャンスに対して皆で一喜一憂する、人生で味わったことのない興奮でした。

チェルシーの選手が相手陣営に入るだけで、「うおおおお?」と皆立ち上がって、シュートが外れれば皆いっせいに頭を抱える。

もちろんシュートが入ればまさに狂喜乱舞、私は隣に座っていた知らないおじさんに抱っこされて喜びを分かち合いました(笑)

 

当時の私にとっては、一連の動きが遊園地のアトラクション的な面白さがあって、

チャンスに立ち上がるのが楽しくて、自然とチェルシーが敵陣に入っていけるよう応援するようになりました。

結果的に試合は2-2の引き分けで終わるのですが、完全にイングランドフットボールの虜になった私は、試合が終わった直後に「またこのスタジアムに来たい!」と父親に話していました。

 

 

大人になって振り返ると、本当に私の経験は恵まれているなあと感じます。

贅沢にもスタンフォード・ブリッジという舞台で、サッカーファンに本格的に目覚めることができました。

もし父親が譲ってもらったチケットが別のチームのものだったら、私は今チェルシーファンではなかったでしょう。

サポーターになるきっかけなんて本当に偶然なんだなとつくづく思ってしまいますね。

 

とはいえ、子供は好奇心旺盛なもので、ここから環境の変化と共に私は他のスポーツに浮気もしていきます。

その辺りは第2章で気ままに書いて参ります〜〜

 

ここまで拙い文章をお読みいただき、ありがとうございました!!